大野城トレイル~山城ルート~ mission 大野城が築かれた四王寺山を目指して… 市街地から「大野城歴史の散歩道」へ歩みを進め、大野城に刻まれた悠久の歴史を感じるルート!(※「大野城トレイル」はまちの息吹を体感する徒歩散策ルートです。地点近辺に駐車スペースがない場合もあります。ご了承ください) JR大野城駅 JR鹿児島本線の快速停車駅です。市コミュニティバス「まどか号(大城ルート)」にも接続、約750m行くと西鉄白木原駅もあり、通勤・通学にも便利な駅です。 ※QRコードは東口と西口のトレイル看板にあります。 MAPを見る 西鉄白木原駅 西鉄天神大牟田線の駅です。JR大野城駅まで約750m、市コミュニティバス「まどか号(大城ルート)」にも接続、近隣にはマンションや商店も立ち並び、平成33年度完成に向け鉄道の高架化も進んでおり、更なる発展が見込まれるまちです。 MAPを見る 大野城心のふるさと館 大野城心のふるさと館は、「歴史・こども・にぎわい」をキーワードに、「ふるさと大野城」をまるごと体感できる施設です。大野城市の歴史の紹介はもちろん、魅力満載の特別展や各種イベント、小さなお子さんが気軽に遊べるコーナー、ゆっくりくつろげるカフェ・ショップもあります。入場無料!ぜひご来館ください!※QRコードは1階総合案内横に掲示されています。 MAPを見る 大文字公園 御笠川が牛頸川に分岐する川辺に整備された広い公園です。川沿いを散策する人をはじめ、地域の人々の憩いの場所となっています。毎年9月にはここを会場に「おおの山城大文字まつり」が開催され、多くの人でにぎわいます。 MAPを見る 道標石 釜蓋の古い集落のはずれにある道しるべです。自然石を台座にした角型の石柱で、刻字から江戸時代中期に釜蓋の人々によって建てられたことがわかっています。道標石自体が旅行や行路安全の神様として人々に信仰されてきた大変珍しいものであり、両脇にはいつのころからか2体の仏像が据えられています。 MAPを見る 雉子ヶ尾古墳 6世紀の終わり頃(古墳時代)に造られた古墳です。古墳周辺は住宅地となっていますが、開発前の発掘調査では集落跡や須恵器窯跡も発見されています。 MAPを見る 大野城総合公園(まどかパーク) バスケットボール(2面)やバレーボール(2面)ができる体育館、卓球などができる小体育館、武道場、トレーニングルーム、会議室等がある総合体育館、市民球場、相撲場、弓道場、アーチェリー場、テニスコートに加え、陸上競技・サッカー・ラグビーなど多目的に利用可能な多目的グラウンドを兼ね備えた、市民スポーツの拠点施設です。 MAPを見る 大野城歴史の散歩道 大野城跡を歩きながら、歴史を学び自然を体験し、健康を得ることができる、整備された歩きやすい登山道です。随所に素晴らしい眺めが望めるスポットがあり、季節ごとに植物の彩りを楽しむこともできます。 MAPを見る 乙金宝満神社 創建は文禄4(1595)年で、その後現在の場所に移されました。本殿には御神体として女神像一体と木碑二個が祀られています。また、「夏越し祓い祇園踊りの絵馬」があり、この絵馬は市内に奉納してある絵馬の中で最も古く、江戸時代後期の天保2(1831)年博多の町絵師、村田東圃によって描かれたものです。 MAPを見る 王城山4号墳 6世紀の終わり頃(古墳時代終期)に築かれた円墳(直径15~16m)です。乙金区正栄寺の裏山、ピアノターミナルナカムラ(株)の敷地内に保存されています。横穴式石室が完全な形で残っています。発掘調査では、須恵器・勾玉・刀子・鉄鏃・馬具などが出土しています。 ※ジョークエストのQRコードは外のフェンスにつけています。 場所は、ジョークエストの「ルート案内」で確認してください。 ※古墳は私有地内にありますので見学の際は受付(平日・土日8時30 分~17時)で声をかけてください。 MAPを見る 善一田古墳 6~7世紀頃の群集墳であり、直径約25mの18号墳をはじめ、多数の古墳があります。その後の歴史的背景を考慮すると、水城・大野城築造前史において重要な役割を果たしたと考えられています。 MAPを見る 北コミュニティセンター 北コミュニティセンターは、大野城市の北部に位置し、西鉄春日原駅近くのイオン大野城店から出ている「まどか号」バスでは約10分で到着します。御笠川と国道3号にはさまれ、道路幅が確保されており、近くにはJA販売所や24時間スーパーなどあり、施設3階には天体望遠鏡施設、併設で市民プールがあるため、多くの方に施設を利用していただいています。 MAPを見る 宮添井堰の碑 「ひんどの人柱と火の玉」の伝説にまつわる記念碑です。「むかしむかし、御笠川の度重なる氾濫に困り果てた村人たちは、人柱をたてて井堰を築くことにしました。その時、庄屋甚兵衛さんがある提案をし、無事に完成した宮添井堰は、その後の大洪水にも壊されず田畑を潤し、豊作が続いて、豊かな村になりました。」現地には、記念碑とともに、伝説を記した陶板があるのでぜひご覧ください。 MAPを見る 戻る